文春について考える。
この記事は一部の人にトラウマを煽るため記事のインデックスページから表示されないようにしてあります。閲覧の際はURlを指定してアクセスしてください。
結論が出ないことを書く。
私は文春は一部必要なメディアというかだと思っている。
私は文春は一部必要な駆け込み寺だと思っている。
私は文春は一部嘘を書いて人の人生を壊すことができることがありそれは未知数だと思っている。
だから結論がでませんし、文春は社会から少し離れた存在になっていると思います、私が最初に知ったのはwikipediaで女子高生コンクリート事件について調べていたときです、無視して加害者の報道をしました。
多分、大手メディアは文春と距離を置きたいでしょうし、私達一般人も少しいやかなり過激なメディアだと思っています。
また、加害者を保護する法律というかを無視して組織、文春の正義を貫いたと思います。
次に文春を知ったのは旭川いじめ事件についてです。これも加害者の名前を公開しました。
また、このときは社会の価値観も変わり私の意見が偏っているのもありますが肯定的な意見が多く感じられました。
ただ、私はこの事件を批判することはできません。
その、芸能人とかで誤った報道を大きな力がある組織が行っていることについてはとても反吐が出ます。
文春の名前を公開することは私刑か。
私は私刑は良くないことだと考えています。
ただ、それは法律に逆らうことです、ただそのような法律がおかしいという考えに最近考えが傾いてきは来ています。
たとえ文春のサーバーが止められてもドメインが凍結されても私は様々なリソースを作と思う。一部において。
ただ、これからも私は悲惨事件を自身の学びとするため様々なメディアを見ると思います。
Comments