死刑存廃問題


この記事は2025年6月9日 9:27の公開から同日13:20に内容の一部が編集されました

日本における死刑とその問題と私の考えについて書きます。

なお、以下の考えを含む記事は、私の現時点での考えであり、変化する可能性はあります。

前提として、日本では以下の罪が死刑を法定刑とされています。

  1. 内乱首謀
  2. 外患誘致
  3. 外患援助
  4. 現住建造物等放火
  5. 激発物破裂
  6. 現住建造物等浸害
  7. 汽車転覆等致死
  8. 往来危険による汽車転覆等致死
  9. 水道毒物等混入致死
  10. 殺人
  11. 強盗致死
  12. 強盗強姦致死
  13. 爆発物使用
  14. 決闘殺人
  15. 航空機墜落等致死
  16. 航空機強取等致死
  17. 人質殺害
  18. 組織的な殺人
  19. 海賊行為致死

私は、上記の罪が死刑を法定刑としていることに違和感は感じません。

副作用が多い

副作用は重大な問題ですが、死刑を行っている以上、0にすることはできません。

そのため、「死刑の副作用」と表現します。

冤罪

まず、死刑の特徴の一つとして、犯罪者とされた人に対して死刑を執行するため、その犯罪者とされた人が無実の人だった場合に、取り返しのつかないことになります。

一部の事件では、死刑執行後に冤罪である可能性があることが払拭できないケースが複数存在します。

死刑の副作用として冤罪があることが問題であるという主張に対する反論として、「冤罪による懲役刑なども人権侵害になるため、日本の刑罰が成立しない」という指摘があります。

もちろん、冤罪による懲役刑なども重大な人権侵害であり、軽視してはいけません。

そのため、刑罰の中でも私は死刑は危険な選択であると認識しています。

執行官の精神的苦痛

日本の死刑の執行方法は、3つのボタンを3人の執行官が同時に押す仕組みです。

死刑の執行時に、執行官の精神的苦痛への配慮はされているものの、精神的苦痛は計り知れません。

稀に「犯罪者の死刑の執行なんて何も思わないだろ」という意見がありますが、ボタンを押したあとに同じ意見を言えるとは、私は思えません。

仮に死刑制度に副作用がなくても矛盾が生じる

日本の死刑は、永山基準により、主に複数人殺害で死刑が選択される傾向にあります。

然しながら、それは1人の命を軽視しているように感じます。

もちろん、法律は倫理ではありませんが、純粋な疑問を感じます。

世論について

因みに日本の死刑制度の支持率は80%程度の様です。

死刑制度に関して、「死刑は廃止すべきである」、「死刑もやむを得ない」という意見があるが、どちらの意見に賛成か聞いたところ、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が9.0%、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.8%となっている。

なお、「わからない・一概に言えない」と答えた者の割合が10.2%となっている。

ちなみに、死刑制度反対では「裁判に誤りがあったとき、死刑にしてしまうと取り返しがつかない」などの、冤罪を懸念する意見が多いようです。

死刑制度が治安維持に貢献している事を証明できない

また、死刑制度を支持する人の意見として、「凶悪犯罪の抑止力になる」という主張があります。

一方で、死刑制度の廃止を支持する人の意見としては、「諸外国が死刑を廃止して治安が良くなった」といったものがありますが、”日本”と”死刑を廃止して治安が良くなったとされる国々”では、さまざまな要因が異なるため、単純に比較することはできません。

つまり、死刑制度の有無によって治安を維持できるかどうかについては、否定も肯定もできないと考えています。

まとめ

私は、死刑について副作用の面から支持していません。

然し、仮に死刑制度に副作用がなくても、矛盾が生じると考えています。

繰り返しになりますが、あくまでも私は死刑の副作用を懸念して死刑を支持していないだけであり、死刑囚の人道的観点などの考えではありません。

参考にしたもの

この記事を書くにあたって調べた、参考文献です。

一部、参考文献については具体的に事件についての記載があります。



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